【セミナーレポート2019】木暮人連続セミナー第4回:「お茶好き大集合!天空の川根茶の味、香り、コクを知る~無農薬茶の6次産業化への挑戦」
■ 木暮人セミナー2019 第4回
「お茶好き大集合!天空の川根茶の味、香り、コクを知る~無農薬茶の6次産業化への挑戦」
日時:2019年8月24日(土)13時30分開場、14時~17時
場所:木暮人倶楽部セミナールーム(東京都中央区銀座7-4-12銀座メディカルビル9階)
登壇者:
樽脇靖明さん(株式会社樽脇園 代表取締役)
小さいときからおもちゃを分解するのが大好きだったという樽脇さんは、自動車整備に10年間従事した後、30歳から樽脇園でお茶の生産に関わり、お茶一筋で今に至るそうです。普段はお茶と喋ってるので、おしゃべりは苦手と言いながらお茶の歴史から話し始めた樽脇さん。歴史を学ぶことによって、現在の問題点や未来のことを考えられると言います。
<お茶の歴史>
お茶の木が発見されたのは紀元前3400年。
メソポタミア、エジプト、インダス、黄河の文明時代であり、日本では縄文・弥生時代です。
その後一般庶民がお茶を飲むようになったのは、中国の春秋戦国時代の紀元前400年頃で、陸羽の書物「茶経」によると場所は中国の雲南省と記されています。
茶の飲み方を進歩や進化で見ると、大きく3つ(団茶、抹茶、煎茶)に分かれるそうです。
そのままでは苦く青臭いので、飲みやすくするために、ごまや落花生などとすり合わて飲む「すり茶」という飲み方が始めだったと言います。
生の葉やすり茶は長期保存が効かないことから、すり鉢でつぶした茶葉を、団子状に形を整え乾燥させた「団茶」が開発され、体に良いと中国全土に広まりました。
その後、日本や韓国にも伝わり、九州の釜炒り茶の元になりました。
団茶は、漢方薬と同様に粉状にひき、お湯でといて薬として飲んでいたそうです。
団茶は製造工程が複雑なことから、中国の一部の地域(浙江省あたり)では、より簡単に飲めるように、蒸した葉をそのまま乾燥して粉末にする茶を作りました。それが「抹茶」の始まりです。
日本に初めて抹茶の飲み方を伝えた栄西禅師が持ちかえった茶は、延命の薬として貴重品として扱われ、上流社会の飲み物として広まることになりました。
日本の茶の木の発展は、栄西禅師から明恵上人へ種がわたり、それを宇治に植えたことで定着し、宇治はその後抹茶生産地として発展したそうです。
抹茶は日本茶の始祖と言えますが、明治期に入り、永谷宗円(永谷園の創始者)が宇治の抹茶の効用を広く一般庶民へ広めようと考えます。
宗円が、中国の製法を導入して、茶の葉をもんで全く姿の異なる茶「煎茶」を作ったことで、日本の日常生活に茶が浸透していくこととなりました。
煎茶が普及してくると、もっと美味しいお茶を作れないかと「玉露」が考案されました。
江戸後期には生糸とお茶の輸出がはじまり、品質の安定化を図るためにお茶の製造の機械化が進み、お茶の製造方法の原型が明治時代に確立しました。
大正・昭和とお茶は急須で飲む生活が浸透し、国内生産量だけでは足りず輸入もしていたようです。その後、手軽に持ち運びができる缶入り緑茶飲料が開発され、キャップができるペットボトル入の緑茶飲料が販売され現在に至ります。
人類が、茶を食べたり、飲んだりするようになって約5400年。
日本で今の飲み方である煎茶としてお茶を楽しむようになったのは、約360年前。お茶の歴史からすれば、煎茶はまだまだ発展途上段階と樽脇さんは考えています。
団茶、抹茶、煎茶と時代とともに変化してきたお茶に、今後、第四の飲み方を見つけたいという樽脇さん。新しい思いつきやアイデアがあれば一緒に作り上げましょうと参加者に問いかけました。
<お茶の健康効果>
お茶を飲む上で重要な感覚は、はじめに目で見てお茶の色の美しさを知る視覚、次に香りを知る嗅覚、そして最後に味を知る味覚でしょう。
人の味覚は、甘味、酸味、塩味、苦味が基本味ですが、緑茶の味は、これには含まれない渋味、旨味が主で、これに苦味を加えて構成されています。
動物の中で唯一人間だけが渋味や苦味をとると言います。その渋味成分がカテキン、旨味成分はテアニンが多く含まれるアミノ酸であり、苦味成分は2~4%含まれるカフェインと言われています。
お茶の健康パワーとしては、まず、カテキンが作用する抗がん効果、抗肥満効果があり、お茶を飲むことで集中力が上がるカフェインパワーがあります。
べにふうきがアレルギー症状に特に効果があるとされている抗アレルギー効果もあります。また、ストレス軽減、血圧上昇抑制作用に利くGABAパワーやビタミン、ミネラルパワーも。
ビタミンCは一杯の緑茶で12mg摂取できるそうです。
旨味成分であるテアニンは他の飲み物にはなく、リラックスを生み、ストレス発散にもなります。
コーヒーや紅茶では得られません。その他に緑茶は、風邪予防、虫歯予防、口臭予防、糖尿病予防にも効果があると言います。
煎茶として飲んだ場合には、わずか30%しか有効成分を摂取していないので、全てを取り込む方法も伝授。
例えば、お茶の出がらしをゆずポン酢と鰹節をかけて美味しく食べるとビールのあてに最高だし、食べるだけでなく、出がらしをお風呂に入れてお茶風呂も提案する樽脇さん。
美白効果もあり。
カテキン成分がアトピー性皮膚炎に効果があるともされ、副作用もないと言います。
こんな素晴らしいお茶が、日本人の長寿に大きく貢献していることを、もっと世界にアピールするべきと樽脇さんは言います。
緑茶を飲まない人に比べ、緑茶を飲んでいる人の死亡率は下がる傾向が確認され、さらに摂取量が多くなるほどリスクは低くなると、グラフを示し説明しました。
お茶の中に含まれるカテキン、カフェイン、ビタミンC等々、お茶以外では得ることのできない多様な成分、そしてその成分のもつ効用は、地球上に住む人々すべての飲み物になるのではと語ります。
<川根本町の紹介>
3大銘茶は、宇治、狭山、静岡、昔は川根と言われます。
川根本町は、今は観光地としても注目を集めているそうです。
トーマス汽車が走る大井川鉄道、寸又峡にある夢の吊り橋や湖上駅等のインスタ映えポイントも紹介。
塩郷駅の側にある吊橋恋金橋は、民家、道路、線路、川を横断できる日本ではとても珍しい吊橋で、長さも220mあり大井川にかかる吊橋の中で一番長いそうです。
静岡県の調査で「お達者度調査」(65歳から元気で自立して暮らせる期間から算出)した結果、男女合わせると川根本町は一番という結果。
自然に囲まれてストレスが少ない環境やたくさんお茶を飲んでいることなどが大きな理由と考える樽脇さん、川根本町に移住したい方は私におっしゃってくださいと誘います。
<無農薬に活路を得た樽脇園の事、1次産業から2次産業へ>
そんな自然豊かな環境の樽脇園は、標高630mの天空の場所で無農薬栽培をしています。
もともと樽脇園は林業家で、父の代でお茶に転換しました。
祖父の時代に木材輸入の自由化がはじまり、国産材は値落ちして林業で食べていけなくなりましたが、ちょうどそれと反比例してお茶の栽培が盛んになっていきました。
樽脇園もそれに合わせ、茶の栽培を増やし、山林を伐り開いて茶畑にしましたが、標高630mでの栽培は他よりも高い位置にあり、収穫タイミングが基本合わなかったと言います。
その当時は好景気で、お茶の消費量も増加していったことから、他との収穫タイミングが合わないので、父は個人の製造工場の建設を決めました。
収穫時期が早ければ高値で買い取られるものの、その後は毎日価格が下がっていくお茶の流通の仕組みから、同じものを作っていてはダメだと思い始めたのが無農薬栽培で、現在では多くの方に支持を受けるようになったと言います。
<様々な商品開発とマルシェ出店で3次産業へ>
マルシェ出店のきっかけとなったのが、新月の茶、満月の茶というユニークな商品の開発でした。
天竜TSドライシステム協同組合の榊原正三さんとの出会いがこの商品を作るきっかけとなりました。
月齢伐採の榊原商店の木と、樽脇園の新月の茶をセットでアピールするようになり、色んなイベントに参加しました。そのひとつが今も継続している太陽のマルシェです。
さらにどんどん新しい商品を開発していきました。
ドリップティー、志村史夫名誉教授の著書「木を食べる」にもかかれている食用木粉パウダー「スーパーウッドパウダー」、樽脇さんが開発した「おがっティー」や「おがっキー」などの試食や試飲、説明もあり、澤宝山さんとの出会いから生まれた急須、絞り出し(KAWANE630)も紹介しました。
昔は手揉みで製造していたため、加工の能率は悪く、新芽が摘み遅れ、硬化した茶葉を加工することが多くなってしまうため、早生から晩生の多様なお茶の品種が必要だったことから多くの品種茶が誕生しました。
樽脇園も多くの品種茶を栽培していることから、シングルオリジンとよばれる品種茶を作りました。
シングルオリジンとは、単一農家、単一品種で栽培されたものを指しており、樽脇さんは、多収で品質良好な早生「おくみどり」、耐病、耐寒性がある「山の息吹」、多収で炭疽病に強い「つゆひかり」、香りは控えめだが甘みと渋味のバランスが良い「やぶきた」、爽やかで上品な渋みと優しい華やかな香りの「ふじみどり」を商品化しました。
商品開発に目覚めてきた頃、マルシェで知り合った川崎のエジソンことスモークハウス広工房のヒロさんとの出会いからできた商品が、燻製お茶スモークグリーンティーです。
樽脇園が製品開発で大事にしていることは、人とのつながりにつきると樽脇さん。
一緒に仕事をしたいと思った方がいたら、まだぼやっとしたイメージでもいいから是非一緒に作り上げていきましょうと樽脇さんは呼びかけました。
<樽脇園のこれから:6次化から10次化への挑戦>
樽脇園の今後としては、ナチュラルビレッジ(有機な村)の実現を目指し、地域を活性化する事を挙げています。
お茶の販売だけでは今の過疎化や高齢化はなくならないので、モノづくりからコトづくりへの転換に活路があると考えています。
田舎だからできないと諦めている方、未だに川根茶は日本一だと思っている方にも気づいて欲しいと言います。
姫路のハーブガーデンに行き、コトづくりを実践しているのを目の当たりにしたことで、コトづくりである有機な村の実現は可能であると確信しています。
樽脇園では、オーガニック川根茶フェスを毎年開催しています。
始めはお茶摘み体験会でしたが、オーガニック川根茶フェスにした理由は有機な村の実現を目指したからです。第1回の参加人数はスタッフ込みで10名でしたが、やり続けることに意味があると恩人に言われ、7回目を迎えた今年は、総勢80名での開催と大盛況でした。
このように、樽脇園は進化しています。それは、あたかも、1次産業の生産、2次産業の加工、3次産業の販売の次の地域社会(村)の構築を4次と考えると、6次産業化を超えて、10次産業への挑戦とも言えます。
その挑戦のヒントは、セミナーの最後に行ったグループワークにある気がします。
3名1組でディスカッションを行ったテーマは「暮らしの中にお茶をどう取り入れて楽しんでいるか」で、お茶のビジネスから地域創生への新たな領域に入っていくためには、やはり生活者との連携や人の輪の楽しい暮らしが欠かせません。
セミナーの中で何回も一緒に何かをやりましょうと呼びかけた樽脇さんの姿勢が、今後の樽脇園の発展を支えていくのだなと感じました。
(木暮人倶楽部 理事長 吉田就彦)