【セミナーレポート】 木暮人連続セミナー:森と木が育む健やかな暮らし 第1回 都会から移住して森に棲む理由 ~神奈川から八ヶ岳へ

第1回 都会から移住して森に棲む理由 ~神奈川から八ヶ岳へ
講演: 森のすまい工房(有)アシスト代表取締役  畠中 実

2017年5月20日(土)
レポート:鄭美羅(チョンミラ)

1978年から羽田空港の関連施設など大都会の建築プロジェクトに参加してきた畠中実(はたけなか・みのる)さんは、1989年八ヶ岳への移住をきっかけに30年近くログハウス建築に携わってきた。
都会でのサラリーマン時代、病名も分からない苦しい病気から始まった人生の転機。全てが終わったと思った時出会った木と森と人々。五感を取り戻すことができた森の生活。そこから新たな人生が始まった。
今まで約140棟の家を建ててきた畠中さんがログハウスに込めた木への思い。特に、畠中さんは月齢伐採と葉枯らし天然乾燥という伝統的な木材の乾燥方法による100%国産材をログハウス建築に取り入れ、自然環境への負担を減らすことと共に、ログハウス建築を通じて「木の命をありがたく頂く」ことを伝えている。

〈自然を求めて、自分の原点を探して〉

建築家だからこそ、人が日々の生活を送る生活環境をより身近でより深く考えてきた畠中さん。高知県出身で、自然豊かな四万十川周辺で育った畠中さんは、八ヶ岳への移住の原点を子供時代の原体験からと言っている。
彼は1978年日本大学理工学部建築学科を卒業してから日本空港ビルディング株式会社に入社、羽田空港の関連施設の建築や羽田空港旅客ターミナルビルディングの沖合移転プロジェクトなど都会の壮大な建築プロジェクトに携わってきた。
しかし、ある日、病名も分からない苦しい病気から始まった人生の転機をきっかけに、11年間勤めていた会社を辞めて、都会から八ヶ岳へ移住することにした。彼と八ヶ岳の縁は、会社員時代からすでに始まっていて、週末を利用して、八ヶ岳の南麓高原(標高約1000m)に5坪の畑を借りてウイークエンドファーマー生活をしていたのだ。

〈山の優しさと厳しさ、そして人生の転機〉

「山の顔はいつも変わる。住んでいる人だけに見せる顔がある」と語る畠中さん。山は優しいだけじゃなく、冬は風も寒さも厳しい。彼が人生の大きな転機を迎えることになったのも冬の北八ヶ岳でだった。スノーモービルに乗っている時、落下して頭をぶつけたことから病名も分からない病気と日常生活との戦いが始まった。原因不明の状態で、頭の中でずっと鈴がなるような音と耳鳴り、そして過呼吸まで起こした。ラッシュアワーの満員電車に乗れなくなり、家族を乗せた車で運転中に症状が出て、危険な状態になったこともある。
「ここままじゃ社会生活もできなく、これからの人生は終わった」と思った。身体の限界を感じた。それから都会を離れようと、移住先を探し始めた。

講演中の様子1

〈個性の強い建築 - ログハウスとの出会い〉

八ヶ岳の標高1050mの高原にログハウスを建て、1990年から本格的な移住生活が始まった。そして、都会の人工的ビルから離れ、自然の中のログハウスへ、建築家としても変化した。ウイークエンドファーマーの時お世話になっていた(有)自然工房に入社し、ログハウス建築に携わってきた彼は、2001年独立し、森のすまい工房(有)アシストを設立した。
彼は今も「ログハウスはとても個性の強い建築」だと思っている。北欧が発祥の地とされるログハウスだが、日本では1300年前の正倉院の校倉造りがもっとも古いログハウスと言われている。
ログハウスには様々な種類があると彼は例をあげながら説明してくれた。サドル(馬の鞍)のような形のノッチ(ログの交差部)を持つ丸太のログハウスで、圧倒的な迫力がある「サドルノッチログハウス」、日本古来の軸組工法を取り入れた日本独自のログハウスとして柱(ポスト:P)と梁(ビーム:B)に丸太を使用した「P&B工法ログハウス」、マシンで加工した木材を使った北欧発祥の「マシンカットログハウス」など。ログハウスは形だけでなく様々な工法で造られている。

〈木への思い – ウッドマイレージと100%国産材へのこだわり〉

ログハウスは一般木造住宅より多くの木材資源を利用することから、彼はログハウス建築にあたって、いくつかの指針を持っている。
「ウッドマイレージ」の取り入れもその一つである。「ウッドマイレージ」とは、木材の量と輸送距離、輸送手段の係数を掛け合わせることで算出される、木材の輸送過程で排出されるCO2量を示す環境指標のこと。彼が100%国産材の利用にこだわっているのは、「CO2の減少はもちろん、最低限のエネルギーで日本の森林資源を住宅に造りかえることを可能にする」からである。
何より彼がこだわっているのは、月齢伐採と葉枯らし天然乾燥による100%国産材の利用である。ログハウス建築には、これまでカナダ産のダグラスファーを利用してきたが、輸入基準が決まっていて1mが必要な時も12mの材木を買わなければならない現状で、使えなく捨てる部分も多いことから、彼は国産の木と葉枯らし天然乾燥材を探し始めた。しかし、値段がなかなか合わず諦めていた時、2002年に榊原正三(さかきばら・まさみ)さんと天竜杉に出会った。この出会いは建築家の彼にとってもう一つの転機になった。
「木はただの木材ではない。生きた命を頂いて人の役に立っていることを知らなくてはならない。できるだけ山に入ってもらい、その木を使ってもらうことで、それを感じでほしい」と言った榊原さんの言葉を、彼は今もログハウス建築を通じて実現している。住む人に自分の家に使う木を実際に伐ってもらう体験を提供しているのもその思いがあるからである。

講演中の様子2

〈住む人の人生に繋がる「家造り」という仕事〉

「家造りの仕事は、ただ建物を建てることではなく、そこに住む家族の人生そのものを造ることに繋がる」と思っている畠中さん。彼は沢山の木を使うログハウスを建てているからだけでなく、都会での苦しい経験があったからこそ、自然環境や森と木に対する自分なりの価値観と方法を見つけ、こだわりをもって家を造っている。
八ヶ岳の森は、原因不明の病気を抱えるくらい都会の日常生活に疲れていた彼の身体と心を自然に癒してくれた。森には本来人間が持っている五感の感性を蘇がえさせる力があった。水から始まる命への感謝を感じさせる味覚、人工的な音のない無音の世界で発達する聴覚、動くもののない森の中で冴える視覚、森の中を歩く手と足が感じる触覚、自然の中に漂う匂いを感じる嗅覚。その五感を自由に広げられる広いパーソナル・スペース(個人空間)。森の中の生活には人の暮らしの原点があった。
そして、人生が終わったと思った瞬間始まった新たな出会いと建築家としての変化。畠中さんの講演は、人間が本来持っている五感を取り戻させてくれる自然への敬意と共に、家造りにも「自然のものをできるだけ自然に使う」というログハウス建築家としてのこだわりを感じさせてくれた。